古井由吉

福岡へ行く直前に久々に風邪を引き、仕事する以外はずっと寝てました。旅行の前々日まで37~38度を行ったりきたりしてましたが、福岡行ったら全快しました。よかった。

 

読みかけの小谷野敦の『江藤淳と大江健三郎』と古井由吉『聖・栖』を布団の中で読みきったことが頭に触ったのか、朝方寒いのを我慢して寝てたら次起きたときは喉が痛くなってました。二冊とも私にとって難解な本で、無理して読んだのがよくなかったのかと思います。四十過ぎて未だに知恵熱出すのどうにかなんないか。あと英単語アプリを集中してやったのも一因かと。ちょっと普段と違うことすると体が追いつきません。

 

古井由吉は何人かの作家が好きな作家にあげているものの、難しそうなので、なかなか手を出せずにいたのですが、本屋で見つけた『半自叙伝』を読んでみたらおもしろく、これなら読めそうかもと思ったのが去年の話です。今年になって本を売りに行った台北の古本屋(Whose Books 胡思二手書店)で五冊小説を入手。ここ二ヶ月くらい寝る間際に発行順にちまちま読んでました。『聖・栖』はそうして読んできた最後の本で、これでラストと無理して読んだのが祟りました。ちまちま読み続けなければいけなかった。

最近書かれた『半自叙伝』は読みやすかったのですが、初期の小説はぜんぜん頭に入ってこず、しばらく読んで、理解することを諦めました。ただ字を追うと決めたらそんなに辛くなくなった。半分ぐらい読むと筋が見えてきて、読むのが辛くなくなるのですが、不思議なことにその途端にありふれた小説に思えて、分からずに読んでいた前半が懐かしくなる。分からないときのほうが面白いという今までにない読書体験をしました。何でも評論家には朦朧派と名付けられたそうで、評論家の人でもそういうくらいだから、私が分からないのも当然かと納得しました。