都会に染まる

学校から構内の食堂で使えるカードをもらっています。
カードを食堂の機械にかざすと、残金が表示され、そこから買った料金が引かれます。

さきほど食堂に行ったのですが、カード残金が5.5元、ごはんにおかずを2種類選んだらちょうど5元で、表示を見た食堂のおばちゃんが「あら、ちょうど足りたね!」と声をあげました。声に反応し、表示を見ると、残金は0.5元。「あ、ほんとだ!」と私も思わずおばちゃんに笑い返しました。

食堂を後にしながら、この何でもない、ちょっとしたやりとり、日本の私の住んでいた町では、絶対ないな、と思いました。

例えば、スーパーでたまたま3000円ぴったり買ったとしても、客もレジの人も無言。でも、心の中でお互い「あ、ぴったり」って思っている…。

思わず声に出したとしても、レジの人無反応、だったりして。

ここで喜びが共有できるのとできないのじゃ、とてつもない違いがあると思うのですが、いかがか。

都会に出てきた若者が「都会って恐い」って思うのは、こういうとこだと思うのですが、レジでアルバイトしている若者も、かつては「都会って恐い」って思っていた一人だったはずで。

私は日本では雑誌が特集するような、いわゆる「住みたい町」に住んでいたのですが、無表情でレジを打っている若者がわんさかいました。
客が渡されたおつり落としても無反応で、「次の人どうぞー」とか言ってる…。客のこと見てないのね。
客が並んでても、見て見ぬふり、の店員にもよく遭遇したな。(何かやってる、とかじゃなくて、ぼーっと立ってる。)

そういう町に何年も住んでいるうちに、私のほうも無言で買い物するのが当たり前になってました。
去年の9月に留学のために日本を出て、今年の夏に一時帰国したとき、買い物する際に声を出すようになっていて、自分の変化に「おっ」と思いました。

そのときに、相手が無反応だからといって、自分も無反応になるよりも、反応していたほうが、よっぽどいいや、と思ったのでした。そのほうが、気持ちがよかった。