何ができるだろう

日本語学習者と中国語学習の交流会に参加しに、都会にでました。

タクシーと電車を乗り継いで1時間、そこからバスに揺られ40分。なんだかんだで2時間ほどで会場に到着。

働いてから独学で日本語を学んだ学習者がけっこういたのですが、日本語のうまさに舌を巻きました。みなさん流暢。

女子学生をひとり連れて行ったのですが、感想を聞くと、「私はぜんぜんしゃべれません。もっとうまくなってから、参加します」と言うので、いやいや、みんな最初はしゃべれなかったんだよ〜、などと帰りの電車のなかで話していると、ひとりの若者が自然な日本語で話しかけてきました。
彼はこどもの頃に日本に住んでいたことがあるそうで、忘れてしまった日本語をまた勉強したいと思っていたとこだそうで、学生と連絡先を交換していました。
タイプの男の子と知り合えたのが嬉しかったのか、電車を降りるなり学生が「日本語を話すのはおもしろいね!」と言うではないですか。

授業で何ができているだろう、と思っています。私が授業で教えられることはたかが知れている。それならば、授業以外で私を利用して日本語に触れてもらおう。それが私がここにいる意味だろう、実際、そう思います。

少なくともひとりの学生が、今日私を通して、「日本語を話すのはおもしろい」という感想を持ったのならば、ここに来た意味があったかな、と思います。