母さん、僕のあの傘、どうしたんでせうね?

昨日の夜、職場から家への帰り道、コンビニで買い物をして、店を出たところで、折りたたみ傘を持っていないことに気づきました。

職場に忘れたのだ!と思い、取りに戻ったのですが、職場にはなかった。
ということは、持って職場を出て、そこからコンビニを出るまでの間のどこかで落とした、ということか。途中でリュックの脇ポケットに入れた気もするから、歩いている途中で滑り落ちてしまったのかもしれない。いやしかし、傘を持って出たという確信もない。
恐ろしいのは、忘れたのか落としたのか皆目検討がつかないということです。

元々そそっかしいので傘を失くすとか、ハンカチ落とすとかたまにあるのですが、今までは「喫茶店の椅子の背凭れに傘を掛けたままで店を出てしまった」とか、「使ったハンカチを膝に載せていたのを忘れて、立ち上がって落とした」とか、どこで失くしたかははっきりしていました。

職場出る時に持ってたかどうかもあやふやで、リュックの脇のポケットに入れた記憶もあるが、それがその日のことだったのか、それとも違う日のことなのか、思い出せない。あな恐ろしや。

先日、お昼ごはん食べたか食べてないか覚えていないということが起こったばかりだというのに。(その時の話はこちら

更にショックなのは、失くしたショックから中々気持ちを切り替えられなかったこと。
いつもなら、傘が自分の身に起こることの身代わりになってくれたんだ、とか、もう二年も使ったから寿命だったのだ、とかいい面を見ようとするのですが、昨日はそれができずに、寝るまで落ち込んでいました。

三歳年上の夫からは「奥さんも始まったね!今までにない忘れ方をするからショックだよね。これから何度もそういうこと起こって慣れるから大丈夫!」というアドバイスをもらいました。
先人からのアドバイスですから説得力がありますが、慣れたくない。

今思えば、顔にシミができたとか、背中に肉がつき始めたとか、三十代に入ってからの老化は今までに経験したことがないことを経験する、新しいことを知る喜びがありました。

しかし三十代を終えようとする今になってはじまった老化は今までできていたことができなくなる変化で、これには何の喜びもない。悲しい気持ちで一杯だ。